インタビュー: 山田紗子さん
建築をつくるとき、私たちは純粋な空間の良さをどこまで追求できるだろうか。今回は《daita2019》や《miyazaki》といった作品に見られるように、建築模型はもちろん、コラージュなどのさまざまなアプローチから、多様な建築を設計する山田紗子さんとともに、モノとどう向きあうかを学ぶ。

撮影=鵜川友里香

山田紗子(やまだ・すずこ)
1984年東京都生まれ。大学在学時にランドスケープデザインを学び、藤本壮介建築設計事務所で設計スタッフとして勤務の後、東京芸術大学大学院に進学。現在、山田紗子建築設計事務所代表。主な受賞に、第三回日本建築設計学会賞大賞、第三十六回吉岡賞、Under 35 Architects exhibition 2020 Gold Medalなど。
ランドスケープから建築の設計へ
本多
僕たちは「モノとどう向きあうのかを考えるコミュニティマガジン」をコンセプトに、モノや資源との向きあいかたを学ぶことのできる記事を発信しています。今回は《daita2019》や《miyazaki》など、型にはまらない設計をされている山田紗子さんが、モノに対してどう向きあっているのか、お聞きしたいと思います。 まずはじめに、建築を志す前はランドスケープを専攻していたとお聞きしましたが、そこから建物の設計をされるようになった経緯と、実際の建築設計を通じて感じたことをお聞きしたいです。
山田
もともと私の母は自然環境にすごく興味があって、ドキュメンタリーや環境系の番組に携わるプロデューサーをしていました。そんな母の影響を受けて、世界の自然に憧れていたのですが、身の回りを見ると緑が少なく、もうちょっとそういう場所がつくれないかと思い、ランドスケープデザインをはじめました。でも、いざランドスケープデザインをやってみると、建物の配置や設計がすでに固まった建築計画や都市計画が先にあって、その決められた中でしかデザインできなかったんです。もうすこし建物の設計から入らないと、自分が思い描いている、すてきなランドスケープは実現できないと思って建築の道に進みました。 ランドスケープには大きい緑地の計画もあれば、住宅の庭のような小さい規模のものもあります。一般のひとがすぐにイメージできるものは、わりと小さいレベルの庭なんだけど、そうなるとやはり建物の計画も一緒に考えていかないといけないと思うんです。 ただ、モノのレベルの話をすると、木材はささくれていそうだし、鉄は重そうだし、自分で取り扱うイメージが最初は持てなかったんですよ。ようするに、建材に苦手意識があったんですね。でも、植物は自分で触ったり、見たり、匂いを嗅いだりすることができて、すごく感覚的に、これが好きだという気持ちを持てますよね。なので、建材も植物と同じように扱えないかと思うようになりました。いま建築を考えるときは、人というより、モノの持っている個性をどう発露させるかに関心があります。
本多
建材は、そのつくられ方や技術が見えにくく、触りにくいのに比べて、植物は、自分が水をあげたいと思ったらあげたり、切りたいと思ったら切ったり、身近に扱うことができる。でも、それが自然に生えていて、なんとなく気ままにも思える感覚を大切にされているのですね。
コラージュによって純粋な空間の魅力を引き出す
水越
山田さんの作品では、たとえば《daita2019》ではモノが即物的に、ありのままのすがたであらわれていますが、《miyazaki》では、モノの存在が色によって強調されている。《はるのや》では、モノによって光の現象があらわれてきていますし、《marble mountain》では、鋭利なオブジェクトにマーブル調の模様があしらわれている。山田さんは、モノの扱い方や表現がプロジェクトごとに違っていて、多彩だなと思うんです。 この点に関してはどのように考えられていますか。

山田
そうですね。考え方はプロジェクトによって少しずつ変わるのかなと思います。ただ、やっぱりひとつひとつのモノが生き生きとした存在であってほしいとは思っています。最終的に、ひとつのかたちの中にぐっとまとまるときもありますが、どのプロジェクトでも、モノひとつひとつがどう存在できるのかを考えています。
本多
山田さんの作品では、モノの扱いかたが必ずしも構築的ではないというか、自由さを感じます。ドローイングでコラージュを用いられていることとも関係しているように思えます。
山田
コラージュは、たとえば樹木や床、壁のテクスチャを自由に切ったり貼ったり、重ねたりできるじゃないですか。あまり見たことのないようなモノの重なりや連なりが簡単にできるんですよね。模型の場合は、どうしても床は下にあって、その上に壁が建つという常識的な構成が出てくる。でもコラージュを使うと、とたんに構成から自由になれます。 だからコラージュを使うことで、建築が常識にとらわれないようにしているというか、モノとモノの関係性やぶつかりあいを純粋に試しているのかもしれないですね。 モノが建築の中でどんな力を発揮するかはかなり意識しています。
水越
《miyazaki》のドローイングでは、マテリアルを模したグラフィックがコラージュされていて、そこには人が入っていませんよね。 それはなぜですか?

山田
人を入れるか入れないかは、パースをつくっているときによく議論します。 コンペやクライアント向けの資料では最低限の説明のために入れますが、メディアに出すものでは取ることが多いです。その理由の一つは、人を入れるとパースが急に説明的になってしまうことで、人は空間の魅力を伝えるのに邪魔だなと感じることが多いです。 自分たちが設計した環境や空間には起伏のようなものがあって、それが大切だと思っているのですが、人を入れるとその起伏が伝わらなくなってしまう感じがしています。
本多
《miyazaki》では増築を想定してあらかじめつくられた階段がありますよね。現状では使い方が説明できない階段だと思いますが、《miyazaki》の住民は、実際にはどのように使われていますか?
山田
《miyazaki》はテレビ番組にも取りあげてもらっていますが、テレビ番組は建築家というよりは施主に焦点をあてるんですよね。そこでは、生き生きと自由に使ってくれている様子が見られて、子供があの階段の上のトップライトの下に座って、「ここは自分の部屋!」って嬉しそうにしていたりして、そこをそう使うんだ!みたいな驚きがあります。説明できない空間の使い方が、施主ならではのやり方で発見されていると面白いなと思いますね。
能動的な場をつくること
水越
お話をうかがっていると、ランドスケープや建築も含めて、どのように場をつくっていくのかに興味をもたれているのかなと思いました。
山田
東日本大震災が起こったときに被災地にいったのですが、そこで人間はどんなところでも住めるんじゃないかと思うくらい、人間の力強さを感じたんです。一方で、仮設住宅が2週間ぐらいで一気に建って、そこにどんどん人が入っていくのを見たときに、人の生きる力や能動的に場をつくっていく力を閉じ込めてしまうようにも思えたんです。もうすこし人の能力というか、能動的な力が発揮できる場が大切だと、伊東豊雄さんたちと話をしました。
本多
今回うかがった《daita2019》も、さまざまな場があると感じました。簡単にモノを引っかけていいと思えるような柵など、自分で場をつくっていけるような感じがするモノがたくさんあって、山田さんの思いが表れているのかなと感じます。

山田
そうですね。設計しているときは基本的に条件に応答しながらつくりますが、マテリアルをあらわしにしていくとか、なるべく部屋を閉じないようにするとか、そういうやり方である程度自由に使えるようにすることを心がけています。家族は毎日全員がいるわけでもないので、あまりここが誰の場所とは決まっていなくて、今日はこういうふうに使って、明日はこういうふうに使うという感じができると良いなと思って設計していました。
本多
機能はどのように配置していったのでしょうか?
山田
うちは個室が3部屋必要だったので、どうしても閉ざされてしまう個室をなるべく家の対角線上に来るように置いて、そのあいだを共有空間で縫うようにバランスを取りながら配置していきました。 最初の計画にはなかったのですが、最後に3階のキッチンにすごく大きなドアをつけたら、そこが表玄関になったんですよ。1階にも玄関はありますが、宅配便などはみんな3階の玄関にもってきてくれます。一番奥につくったと思っていたキッチンが、このドアを付けたことによって入り口になったんです。 でも結果的には、その方が来客の際にすぐ案内できるし、子供の友達が来たときも、そこでおやつを食べたりできるし、3階のキッチンが入り口になって良かったなって思います。

水越
すごいですね。 建物の構成や部屋の関係性をモノ一つでひっくり返してしまうような、モノの力強さを感じます。
山田
そうですね。でも、ドアだけではなくテラスの影響もあると思います。植栽の手入れのための階段など、いろんなモノがせめぎあった空間になるといいと思ったので、テラスを大きく取ったら、みんながここから入ってくるようになりました。
ガラスはどうしても反射するので、家の中にいるときはあまり開いてる感じがしないのですが、ドアが開いているときに外から見ると、「えっ家が開いてる!?」って思ってしまうくらい開かれていて、家の全てがさらけ出されてる感じがします。声もよく聞こえるので、「山田さんち、またおしゃべりしている」って思われるぐらいよく聞こえちゃったりして(笑) 。このドアが開いてるか開いてないかで、家全体が開くか閉じるかが決まってしまうので、ドアというより動く壁みたいなものですね。
本多
建物は、とても長い時間使われ続けていくものだと思います。 《miyazaki》では階段の上に子供部屋が増築されることを想定されていましたが、 住み手の状況やまわりの状況がさまざまに変化する中で、設計している建物の次のステージについてはどのように考えていらっしゃいますか?

山田
いまはどうとでもリノベーションできるので、将来はあまり想定せずにつくって、必要だったら付け加えればいいし、不要であれば取ればいいと思います。ただ、自分が設計した建物に変化が起こったとしても、モノとヒトのありかたのような、建物全体に関わることのバランスが崩れないようにつくりたいなと思っています。 将来を先回りして設計することが重要だとは思っていなくて、その都度、その場面に応じて、必要なことが変更されていくぐらいが、住まいとしては健全かなという気もします。
水越
建物の固定的な価値をつくることを目指すのではなく、その場所にある状況や求められていることを、どんどん反映していく姿勢はとても素晴らしいなと思います。
山田
私は設計をしているときはだいたい状況のほうを先にイメージしていて、かたちをつくりたいというより、状況をつくりたいという思いがあるのですが、でもつくった状況をキープしたいとは思わなくて、いったん引き渡したらあとは好きにしてくださいという感じです。引き渡したあとに何も手をつけられないような建築だと、結局そこに住まう人たちの力は弱まってしまうと思います。住まう人の力をずっと応援し続けたいんです。
モノを手段で終わらせない
本多
最後にお聞かせください。建築家や建築を学ぶ学生は、モノに対してどう向きあったらいいとお考えでしょうか。
山田
モノはすごく魅力的で、とても面白いのですが、モノを扱う際は、結果的に空間がどう良くなったのかをちゃんと議論しないといけないと思います。 モノやマテリアルには、ある意味で中毒性みたいなものがあって、考えただけで満足しがちだと思うんです。 特に大学4年生くらいになると白模型に飽きてきていて、そこにテクスチャを貼ったら急にかっこよく感じるみたいなことがある。そういうことがあってもいいんだけど、それがなぜなのかを考えなきゃいけないし、たとえばそれが別テクスチャだった場合はどうなるかをちゃんと議論しないと、設計の話にならない。自分たちがやっていることはあくまでも建築の設計なんだということは忘れないでほしいです。

2023年7月17日 《daita2019》にて
企画=本多栄亮・水越永貴/ReLink+鵜川友里香・岸海星/明治大学構法計画研究室
取材・構成=本多栄亮・水越永貴
監修=門脇耕三
協力=明治大学構法計画研究室
本多栄亮(ほんだ・えいすけ)
1997年生まれ。修士(工学)。明治大学理工学部建築学科助手。明治大学大学院理工学研究科博士後期課程2年。2023年、水越永貴・杉野喬生と共にReLinkを創設、代表。2019-2020年に学生による設計施工を行う学生団体DaBoの共同代表を務める。卒業設計では赤れんが卒業設計展2021で佳作を受賞。古材を利用した設計などを行う2人組設計チームLinゝメンバー。研究者として建材リユースの流通に関する研究を行う。
Twitter:https://twitter.com/ei_ar_ch
Instagram:https://www.instagram.com/eisuke.honda/
水越永貴(みずこし・えいき)
2000年生まれ。修士(工学)。都内建築設計事務所勤務。2023年、本多栄亮・杉野喬生と共にReLinkを創設。大学院ではReLinkを通して設計者に対する中古建材の利用可能性の研究を行い、2023年度日本建築学会大会デザイン発表会にて優秀発表賞、2024年度日本建築学会関東支部大会にて若手優秀研究報告賞などの受賞。
Twitter:https://twitter.com/e_3254__
Instagram:https://www.instagram.com/e__3254/
明治大学構法計画研究室(めいじだいがく・こうほうけいかくけんきゅうしつ)
2012年に明治大学にて発足した、門脇耕三が主宰する研究室。建築構法についての研究を主な活動とする。「モノに知性を宿す回路は、現代の文脈において、如何に構築可能か?」をテーマに掲げ、研究に加えて、建築設計・技術開発・様々な分野の専門家との対話など、多様な活動を展開している。
HP:https://www.kkadlab.org/
Twitter:https://twitter.com/kkla1117
Instagram:https://www.instagram.com/kadowaki_lab/