観察したモノをドローイングで描き起こしたときに見えてくること

マガジン

インタビュー:貝島桃代さん

私たちはどのような観点からモノを捉えうるのか。街を見るときや自分の世界を表現するときなど、見る状況によって私たちの観察眼も変化する。アトリエ・ワンでの30年にわたる設計活動や、日本だけでなくスイスなどの海外でも実践を行う貝島桃代さんとともに、モノの捉え方を考える。

右から貝島桃代さん・水越永貴・本多栄亮
撮影=鵜川友里香
提供=貝島桃代

貝島桃代(かいじま・ももよ)

建築家。1992年に塚本由晴と共にアトリエ・ワンを設立。『メイド・イン・トーキョー』を黒田潤三、塚本由晴らと発表するなど、環境の観察からデザインアプローチを行う。第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では日本館のキュレーターを担当した。2017年からスイス連邦工科大学チューリッヒ校で建築振る舞い学講座の教授も務める。

モノが好き

本多
 建築をつくるにあたって環境への意識が必須となりつつあるなかで、僕たちは「モノとどう向きあうか考えるコミュニティマガジン」をコンセプトに、モノや資源との向きあいかたについての学びが得られる記事を発信していきたいと思っています。本日は書籍『メイド・イン・トーキョー』での都市の観察や、筑波大学でのフィールドワーク、ヴェネチア・ビエンナーレ※1やETHZ※2でのドローイングを用いた実践に見られるように、ユニークなアプローチでモノと建築の関係を考えられている貝島桃代さんにお話を伺いたいと思い、取材をお願いしました。

貝島
 モノと人という分類があるとすると、私はモノが好きです。もちろん人と出会ったり、協働することも好きだけど、人はそれぞれが自律的な存在ですから、私の思い通りにはならないし、そうしたいとは思わない。でもデザインなどの創造行為によってモノは変化させることでき、探究によってそのデザインの精度や純度を高めていくことができる。また創造することを協働するなかで、さまざまな学びがあり、そのプロセスやできたものが、結果的に人に影響を与えることもある。私、モノ、人という三角関係とでもいうのでしょうか?だから、私はモノをつくる「建築」という分野があるのを知った時、とても魅力的な世界に出会ったと思いました。

街中での建物調査からモノを捉える

本多
 貝島さんが建築家になった理由が少しわかった気がします。一方で、モノを直接的に変化させるわけではないお仕事もありますよね。たとえば『メイド・イン・トーキョー』には、観察を通じて東京の見え方を変えてしまったような感じがありますが、ここに登場する建物をモノの観点から見たときにはどんな魅力がありましたか?

『メイド・イン・トーキョー』で取り扱った建物の一例
提供=貝島桃代

貝島
 『メイド・イン・トーキョー』では、その建築における複合的な住まい方や使い方も重要視していますが、それが建築の外形や内部構成の形にも複合的な空間構成として表れていることも魅力です。建築の教科書で学ぶような、一つの箱型の建物に一つの機能が綺麗に収まっている正統な建築とは違いますが、都市環境で反復して存在している。タイポロジカルな強度もあり、こうした新たに発見された建築タイプとして、それらをまとめ、東京のガイドブックとして『メイド・イン・トーキョー』をつくりました。無名の建築家や技術者が社会的な必要性に従ってつくった正直さがある。それがモノとしての魅力です。

本多
 『メイド・イン・トーキョー』を発表して、まわりからの反応はいかがでしたか?

貝島
 日本の建築家からは、当たり前すぎる、あるいは、ヴェンチューリの都市論のパロディではないかなどといった、批判的な意見が出ていました。その一方で海外の建築家は、東京という現代都市環境を理論づける本として評価してくれました。

水越
 日本の建築家からすると当たり前すぎて、面白さに気づけていなかったところがあるんですかね。

貝島
 そうですね。日本の建築教育は、西洋の建築技術を学ぶことから組み立てられました。だから使い方の面白さから、東京の無名の現代建築の魅力を語る言葉は、それ以前あまり開発されていなかったのだと思います。藤森照信さんがかつて、取材にいらしてくださった時に「アトリエ・ワンは設計と研究を両方できる。それは僕もやりたいが、なかなかできない」と言ってくださったことがありました。わたしたちは、モノの成り立ちに関心がある。なぜなら、モノの成立条件に遡ることは、条件を変えることが、モノのデザインにつながるからです。

社会の移り変わりを感じていた幼少期時代

水越
 モノをちゃんと見たり、入念なリサーチをするようになったきっかけはありますか?

貝島
 子供の頃から、私は物語を読むことや街歩きが好きでした。ここ四谷は生まれた時からから住んでいる場所ですが、神宮外苑のスタジアム周辺に、オリンピック道路が計画されたことで、1960年代から地域はつぎつぎと変化しました。例えば、かつて外苑東通りには、2階建の商店住宅が並んで、商店街のようでしたが、道路の拡幅とともに、多くがなくなってしまいました。寂しさと同時に、なぜ変化するのかということへの興味を持ったように思います。大学で建築を勉強するようになって、都市の変化への関心は変わりませんでした。なぜ街は変わっていくのか、なぜ人は暮らしを変えていくのか。東京はバブルでさらにその姿を変えようとしていた時に、建築史家の藤森照信さんや陣内秀信さんが東京の歴史を見直す活動をしていて、日本女子大で陣内さんの授業を受け、東京の水辺空間のツアーに参加したり、藤森さんの「看板建築」や「路上観察学会」の本に影響を受け、それらを見に街を散策したりしました。歴史は、わたしの関心をさらに深めてくれました。

もう一度ドローイングで描き起こすこと

本多
 社会が大きく動いていくメカニズムへの関心が『メイド・イン・トーキョー』につながり、やがてビエンナーレでもテーマにされた建築民族誌への興味につながっていくのですね。 貝島さんが建築民族誌のお話をするときは、ドローイングの話題に触れることも多いと思うのですが、ドローイングを描くことはモノを見ることにどんな影響を及ぼすと思いますか?  

ヴェネチア・ビエンナーレでのドローイング展示
提供=貝島桃代

貝島
 わたしはドローイングを描くのも、見るのも好きです。視覚情報を読み取る能力は、建築家の職能の一部でもあると思いますが、これらが磨かれていくと、ドローイングは情報伝達密度がとても高いコミュニケーションメディアになりうる。文字は最初から最後まで読む必要がありますが、図面は関係性ですから、それが構造化されているものであれば、瞬時に直感的に理解できる。図面を見て「あれ、これちょっとバランス悪いな」と思うところをよく見ると間違っているとか。それが好きなんです。

 また、私の学生時代であった1980年代は、建築家それぞれが自身の表現として、独自のドローイングを開発し、それらを競っていました。レム・コールハースや磯崎新、高松伸など、建築家は、建築作品の意図を伝えるためのドローイングの表現を開発することを試みていました。建築理論と建築表現が連動していた時代でした。そうしたことから、私自身も自分の考えを伝えるドローイングの描き方を開発したいと思っていました。そうしたことから、『メイド・イン・トーキョー』では、そのことを意識して、表現を検討しました。当時はコンピューターによるドローイングがまだあまり表現として取り上げられていなかったのと、私が所属していた東京工業大学の坂本一成研究室は、アクソメやアイソメを使った空間構成図を分析図として描くことが多かったんですね。それを応用して『メイド・イン・トーキョー』では、通常の建築分析では描かないような対象であるミキサー車やトラック、インフラなどを、建築要素として描くことで、ドローイングをつくりはじめました。『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』では、植木鉢や家具など、小さなスケールのモノを対象とすることで、それぞれを建築デザインの議論に含めようとしたのです。

『メイド・イン・トーキョー』でのドローイング
提供=貝島桃代

水越
 なるほど。貝島さんの実践とドローイングは切り離せないのですね。観察した結果をドローイングを通じてもう一度自分の外に出すことで、モノの見方やモノへの向きあい方は変化しましたか?

貝島
 そうですね、ドローイングはモノの実態から表現するために抽象化をします。これは、何を伝えたいか、自分で抽象化の基準をつくり、意味の強度を高めます。これは、雑草取りとも似てます。雑草と決めてしまうと全部抜かなきゃいけなくなりますが、これは残そうと種類を選び、あることを許容しはじめると、それは雑草ではなくなります。ドローイングも、環境全体をドローイングに描き起こすことはできません。抽象化の作業に自分の思考と論理性とドローイングの技術が必要であり、それが自分の考えをまとめる訓練になる。モノや環境を表現する解像度は、人間の思考と連動しているので、ドローイングを描くという行為は、その解像度をチューニングすることでもあると思います。

スイスと日本の違い

本多
 貝島さんは、いまはETHZでスイスの学生にも教えられていますが、スイスの学生と日本の学生のモノの見方は違いますか?

貝島
 ETHZは、工学部教育ですので、建築の技術、素材のコンストラクション、構法、構造を教えることが主です。したがって、わたしがETHZで学生をしていた1990年代の図面では、家具が描かれることはほとんどありませんでした。むしろスタジオの議論では、家具や人などの添景を描かずとも、それらとの関係を、壁や開口部しか描かれていない建築図面のスケールやプロポーションから理解し、議論できるリテラシーが要求されました。スイスの人々は保守的ですから、彼らのなかに暮らしの規範などもまだしっかりと維持されていたからだと思います。しかし、その後国際化も進行し、スイスの暮らしも変化してきています。わたしのように海外から来て教える教員も増えているなかで、建築家は、すでにそういった訓練をしてきているので、添景がなくとも図面だけで議論はできますが、学生がそれを本当に理解できているかを確認するには、むずかしいところもあります。そういった意味で、学生たちが新しい暮らしを提案する場合、そうした添景を学生たちが描くことは、議論がしやすいし、今のスイスの若い世代の暮らしの規範が、意外に固定化されてしまっていることに対し、それらを柔軟に解釈し批評的に見直し、提案をする際には有効なコミュニケーションの手段になるともいえるでしょう。

 また、スイスやヨーロッパでは日本のような建築計画学の分野はありません。日本は明治から西洋化、近代化、戦後は工業化、産業化など、都市化が進み、人々の生活が目まぐるしく変化するなかで、そのことを理解することや制度化するなか、計画学は必要でした。スイスは国の規模も小さいし、日本に比べると都市化や暮らしの変化もゆったりしていたためだと思います。私が学んだ日本女子大の住居学科では、住まいについて、ハードとソフトの関係を当時、計画学の先生がたくさんいらっしゃって、教えてくれました。スイスの教育ではそういうものがないので、わたしが教える建築の振る舞い学が、彼らの建築設計スタイルをどう変えるのか、楽しみでもあります。

水越
 スイスは環境意識が高いと聞きましたが、実際の状況を教えてください。

貝島
 現在、スイス連邦の環境政策はより高い基準に向かっています。こうした動きは、1990年代からは徐々に始まりましたが、1999年にヨーロッパ連合が誕生し、スイス連邦はここには入っていませんが、EUとの経済的関係は強く、投資家がより安定した対象を求めるために、スイスで住宅開発が進んでいる状況です。建築家としては仕事があるので、ある意味良いわけですが、建築としては、マーケットが主導し、保守化や開発のスピードが早まり、建築の創造性や文化的質が低下しているのが問題といえます。そうした中、環境基準の引き上げは、良い影響と悪い影響があると思われます。たとえば、スイスの都市化は、戦後から1970年代くらいに一度進み、このころ建てられた建物が多くチューリッヒ市内にはあるのですが、これらは今の基準に合わない。これを壊すか壊さないかの議論があります。ETHZの教育では、環境問題を考え、それを壊さないでリサイクル・リユースで活用する方向で再生することを教えていますが、マーケットは壊して、もっと長く使えるものをつくりたいので、マーケットと教育に、開きがあり、これをどうするかが議論されています。

 また、スイスにはアルプスがあり、これはヨーロッパの水源でもあります。温暖化で氷河の範囲が狭まっていることや、多雨によるドイツでの洪水など、ヨーロッパの水を管理する立場でもあるので、ヨーロッパの環境問題で、リーダーシップをとる責任を意識している様に思います。

リユース社会の到来にあたって建築家が考えるべきこと

本多
 なるほど。そういった現状のなかで、リユースなどが進んでいく際、貝島さんはどのようなことを大事にしたら良いと思いますか?

貝島
 一言でリユースといっても国によって、その意味は違います。木の扱いについても、そうです。たとえばオーストラリアのクイーンズランド州には、入植時に原生林をハードウッドを製材して作った「クイーンズランダー」とよばれるコロニアルスタイルの住宅があります。これは原生林の木で、現在はすでに材料もないし、あったとしても、利用の規制があるので、大変貴重な材料でもあるし、「クイーンズランダー」についても、歴史的な価値があります。実際、「クイーンズランダー」には中古住宅、建材としてのマーケットがあり、その改修や移築なども行われており、それ自体が文化になっている。これに倣えば、日本でも古い民家などの利用はそういったやり方があると思うのです。その一方で、日本には豊かな林業や森林文化がある。スギ・ヒノキといった、生産のサイクルも短く、柔らかい加工のしやすい木材を比較的早いスピードで利用していくという文化があります。伊勢神宮の20年に一度の遷宮などはその代表です。つまり、リユーズにも地域性があり、その連関を理解し、デザインを考えると良いと思います。

水越
 リユースや古い建物との共存を考えることに、工学的な合理性以上の意味あいは見つかるのでしょうか?

貝島
 なぜ地球環境を守らなきゃいけないのかは、やはり生きることの意味、つまり哲学が必要です。基本的に人は一人では生きていけず、社会をつくり生きているわけですが、その社会がある理由には、地球資源、つまり土地の資源を活用するのには、農業や漁業、林業など、ひとりではできない営みが暮らしに必要だったからです。今は多くのものがお金をだせば手に入ってしまうので、そうした社会の必要性や地球や土地との繋がりを、忘れてしまいがちです。私たちは人だけではなく様々なモノと一緒に暮らしているということを、みんなが理解したり、実感したりすることは、生きるありがたみや幸せを感じる瞬間ではないでしょうか。そうした幸せが見えづらい今、実際の環境や空間と近く、モノや人を繋ぐ媒体である建築は、なにかできるはずです。私たちがどうしてこの地球でみんなで一緒に生きるのかを考えられる道具に建築がなれば良いと思っています。

本多
 これからの建築家は、ただ単にモノを見ているだけでもだめそうですね。建築家は、今後どういう範囲の視野を持てるとよいでしょうか。

貝島
 モノや、モノが組織される産業の連関を勉強することは役に立つと思います。それぞれのモノがどこから来てどのように加工がされてつくられているのかに関するリテラシーは、環境的であるとともに空間的な想像力が必要です。建築家はそれができる能力をもっているし、そうした職能は、社会がその様な方向性を試みる時の、機動力に寄与できるのではないかと思います。

撮影=鵜川友里香
2022年12月28日 アトリエ・ワンにて

企画・取材・構成=本多栄亮・水越永貴
監修=門脇耕三
協力=明治大学構法計画研究室

※1:2年に一度、イタリアのヴェネチアで開催されるアートと建築の国際展。貝島さんは2018年の建築展で日本館のキュレーターを担当。

※2:貝島さんが教鞭を取られるスイス連邦工科大学チューリッヒ校の略称。

本多栄亮(ほんだ・えいすけ)
1997年生まれ。修士(工学)。明治大学博士後期課程1年、構法計画研究室所属。2023年、水越永貴・杉野喬生と共にReLinkを創設、代表。2019-2020年に学生による設計施工を行う学生団体DaBoの共同代表を務める。卒業設計では赤れんが卒業設計展2021で佳作を受賞。古材を利用した設計などを行う2人組学生設計チームLinゝメンバー。大学院では建材リユースの流通に関する研究を行う。
Twitter:https://twitter.com/ei_ar_ch
Instagram:https://www.instagram.com/eisuke.honda/

水越永貴(みずこし・えいき)
2000年生まれ。明治大学博士前期課程2年、構法計画研究室所属。2023年、本多栄亮・杉野喬生と共にReLinkを創設。大学院ではReLinkを通して設計者に対する中古建材の利用可能性の研究を行う。グッドデザイン・ニューホープ賞、SABED環境シミュレーション設計展2021 学生部門 優秀賞をはじめ、受賞多数。
Twitter:https://twitter.com/e_3254__
Instagram:https://www.instagram.com/e__3254/

明治大学構法計画研究室(めいじだいがく・こうほうけいかくけんきゅうしつ)
2012年に明治大学にて発足した、門脇耕三が主宰する研究室。建築構法についての研究を主な活動とする。「モノに知性を宿す回路は、現代の文脈において、如何に構築可能か?」をテーマに掲げ、研究に加えて、建築設計・技術開発・様々な分野の専門家との対話など、多様な活動を展開している。
HP:https://www.kkadlab.org/
Twitter:https://twitter.com/kkla1117
Instagram:https://www.instagram.com/kadowaki_lab/

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