モノをきっかけとするあいさつで、日常の風景を変えていく建築家

マガジン

インタビュー:アリソン理恵さん・ヴォーンさん

まちの中に建築家がいる意味はなにか。私たちが生活していく中で、建築家はどのようにふるまい、どうまちと人をつなげていくべきなのだろうか。
今回は、東京都豊島区の東長崎を拠点に、建築設計事務所ばかりではなく、カフェ《MIA MIA》の運営など、「まちの営繕」をコンセプトに、幅の広い建築活動を行うアリソン理恵さん、ヴォーンさんの実践から、モノとどう向きあうのかを学ぶ。

右から理恵さん・ヴォーンさん・水越永貴・本多栄亮
撮影=鵜川友里香
(左)アリソン理恵さん
(右)アリソンヴォーンさん
撮影=Takahiro Otsuji

アリソン理恵(ありそん・りえ)
一級建築士事務所ara主宰、豊島区東長崎にてコーヒーショップ MIA MIA、カルチュラル・キオスクI AMを夫のヴォーンと共に営む。地域と共にあるプロジェクトをたちあげ、関わる人の協働を促す、開かれたデザインやしくみを考える活動を行う。2010年日本建築学会 作品選奨、2016年ヴェネチアビエンナーレ審査員特別表彰など。

アリソンヴォーン(ありそん・ゔぉーん)
オーストラリア・メルボルン出身。東京に住んで10年以上。東長崎のMIAMIA、IAMの店主のほか、日本のコーヒーカルチャーを世界に発信するライター、インフルエンサー。モデル、音楽プロモーター、イベント企画、コンサルタント等、100の顔を持つ。

たった30平米から得られた大きな経験

本多
 僕たちReLinkは「モノとどう向きあうかを考えるコミュニティマガジン」をコンセプトに、モノや資源とどのように向きあうのか、様々な人にインタビューをしています。今回は建築をつくるだけではなく、東長崎の地域の中で様々な活動をされているアリソン理恵さんとヴォーンさんに、モノという観点からお話をうかがえればと思います。まず最初に、東長崎でお二人が営まれているカフェ《MIA MIA》(マイアマイア)を始められた経緯についてお聞かせください。

理恵
 ヴォーンは昔から、ずっとコーヒー屋さんをやりたいと言っていました。彼の出身地であるオーストラリアのメルボルンの人は、1日に4、5杯コーヒーを飲むんですよ。みんないつもおひいきのコーヒー屋さんに1日何度も行くから、バリスタとすごく仲が良くて、その地域の情報がコーヒー屋さんに集まっています。地元の人と毎朝コミュニケーションをしていて、まちの情報が集まっているから、コーヒー屋さんは地域を見守る場所にもなっている。そういう、人と自然に出会えるような場所が日本にはないってヴォーンはずっと言いつづけていて、私も街中のコーヒー屋さんのようなお店が地域の交流拠点になるはずだと思っていたので、二人でやるなら、ただのコーヒー屋さんではなくて、まちの拠点だったり、地域を見守る場所にしたいと考え、企画構想に8年かけてこの場所をつくりました。

ヴォーン
 “マイアマイア”という名前は、オーストラリアの先住遊牧民族であるアボリジニが移動した先で、その場にある材料を集めてつくる仮設的なみんなのシェルターを意味する彼らの言葉が由来です。
 オーストラリアで本物の“マイアマイア”を見たときに、それはもちろんコーヒー屋ではないんだけれど、人が集まっていたんです。人が集まる場所を、その場所にあるものでつくるってすごくいいなと思って、名前だけ最初に決めましたね(笑)。

《MIA MIA》
撮影=Yurika Kono

本多
 実際につくる段階はどうでしたか?

理恵
 建設という行為はもともと、お金も人もたくさん動くし、その地域の生産力が顕在化するお祭りみたいなイベントだったはずなんです。でも、いまは工務店さんをどこかから連れてきて、工事が終わると関係者はいなくなることがほとんどで、近所の人ですら知らないあいだに建物ができてしまう。それがすごくもったいないなと思っていました。だから、“マイアマイア”という名前が先にテーマとしてあったこともあり、東長崎でつくるなら、東長崎の人に工事をしてもらおうと思っていました。

 そこで、商店街の人に施工してくれる人がいないか聞いて回っていたときに、たまたま横でご飯を食べていたおばあちゃんが「あんた、その話を私にも聞かせてくれる?」と言ってくださって、その次の日に、そのおばあちゃんがおじいちゃんを一人連れてきて、そのおじいちゃんがまた別の人連れてきてくれて、最終的には平均年齢85歳のセミリタイアした職人さんたちが集まってくれました(笑)。そのほかに、いつもお仕事している若い職人さんもよんできて、おじいちゃん集団プラス30代のスチール屋さんと家具屋さんというメンバーで工事をしました。 それまでは自分でディテールを描くと、図面通りにつくってもらえるのがあたり前だったのが、このときは、みなさん図面をあまりちゃんと見てくれないこともあって、こうして集まった人たちだからこそできるディテールや、この人たちが手に入れることができる部材でつくるディテールを共に考えることが楽しかったんです。

 たとえば、《MIA MIA》の5メートルの長いランプを設置する工程では、板金屋さんと電気屋さん、大工さん、金物屋さんがそれぞれ事前に部品をつくってきて、現場で最後に組み立てるという工程だったのですが、いざ蓋を開けてみると、みんながこっちの方が格好良いからってアレンジをきかせていて、誰も図面通りの部品をつくってなくて、結局現場であわなかったんです(笑)。いままでだったら、図面と違うからつくり直しですと言っていたと思いますが、そのときは、みんなが2ヶ月くらい工事をしてきて、この現場を自分ごととして感じてくれて、自分たちのスキルと思いを込めてつくってくれたのに、それをやり直させるのは違うんじゃないかと思ったんです。そうではなくて、この状況をベストのものにつなげるのが建築家の仕事なんじゃないかと思えた。それは私にとってすごく大きな考えの転換でした。

 建築家がディテールまで含めた全体をコントロールしきるのではなくて、その場にある技術や資源などを見渡して、一番良いディテールや納まりを考え、つくりあげていく。そういうことも建築家の大事な仕事だと気付いた瞬間でした。それまでも、その場所のコンテクストを考えることはもちろん意識していたのですが、敷地条件や、地理、歴史のような抽象的なものしか見てなかった。でも、実はそのコンテクストの中に、施工者の技術とか資源の調達方法も入ってくることに気付けたのです。《MIA MIA》の工事は私にとって大きな経験でした。

《MIAMIA》に取り付けられた5メートルの照明
撮影=鵜川友里香

まちとの境界をデザインすること

水越
 東長崎の人間関係に根差した職人さんたちが、それぞれの個性や技術、知恵などを結集させた先に、《MIA MIA》ができたんだなと理解しました。地域の中に入り込んで活動していくことで、みんなで建築をつくり上げることに至った理恵さんの姿勢は、建築家のふるまいかたとしてものすごく可能性あるんじゃないかなって思います。

理恵
 そうですね。その後のTシャツや看板、フードなども含めた様々なプロダクト開発まで入れると、すごくいろんな人が関わってくれてます。建設以外にもつくる行為はずっと続いていて、そういう意味では、いまもずっと建設中みたいな感じで、いろんな人を巻き込んでいるし、完成しない。その状況のベストを考え続けている感覚なのかもしれないです。

 建築は、つくったら終わりじゃないよねみたいな議論は昔からあるけど、それってどういうことかあんまりピンと来てなかったんですよね。でも、いま東長崎で活動を始めて3年たってみて、庭とか看板とかベンチとか、少しずつ外の居場所を整えてきたのですが、そういったものと地域の人たちの活動が連鎖し始めていて、なんか変わったねとか、外の居場所ができたと言っていただけることも増えています。ささやかですが、そういうのもすごく建築的な仕事だし、モノをつくり続けることってすごくポジティブなことだと感じています。経済が循環するという意味ももちろんありますが、それだけではなくて、それを見ている人が、うちの地域ではこんなことができるのかってすごく元気になるんです。

 10年ぐらい前に住宅を設計したときに、クライアントに塀はいらないと言われたので、地域に開いた前庭とそこから連続する広間のある家をつくったことがあります。その地域の住宅にはだいたい塀があったのですが、それを見た隣の家が、真似して塀を壊したんです。私たちのアイデアって、やろうと思えばだれでもできるものなんですよ。「良いアイデアだ、これは真似できそう」って思えるレベルのことをやれば、みんなが真似してくれて、連鎖し、風景となっていく可能性がある。私たちじゃなくてもできる、共通の知恵のような、真似できるモデルとしての建築です。そういう経験や、《MIA MIA》での積み重ねもあって、自分たちのスタイルをつくりすぎず、「できそうだけど、まだやっていない」みたいなことをどんどんまちの中に広げていきたいと思うようになりました。

 その延長で、最近はちょっとずつまちを良くしていく「まちの営繕」という活動を始めました。たとえば、東長崎駅前にある《Cadota》では、車止めのポールの上にトマト缶をのせてテーブルをつくりました。オーナーの新井さんがそこでパスタをつくると、地域の人たちが、何やってるんですかって声をかけてくれる。お店として楽しいこともありつつ、そうした挨拶が地域の見守りにもつながっていて、安心できるまちの中心になっているなと感じています。

《Cadota》の前の車止めポールにトマト缶をかぶせてつくったテーブル
撮影=鵜川友里香

ヴォーン
 《Cadota》のオーナーの新井さんは、元々イタリアにいたときに、よく道路でパスタをつくっていたそうで、《MIA MIA》で知りあったときも、外でパスタをつくってもらいました。これは発見でしたが、外でなにかをすると、自然と人が集まってくるんですよ。また、外でパスタをつくることは、彼の個性でもあって、《Cadota》のテーブルは、そんな彼の個性を表現するものでもあるんです。

理恵
 私はこうした活動を、桟敷(さじき)の一種だと考えています。昔の日本の町屋は、庶民の住む小さな家としての「小屋」と、物を売ったりつくったりする場所である「店」、そして「桟敷」の機能から成っていました。桟敷は可動のしつらえでできていて、ふだんは商品を受けわたす場所になったり、お祭りのときは、行列や祭りの光景を見物する場所や、舞台にもなります。そのころは、井戸やトイレといった水回りを地域で共有していて、そこがコミュニティの場にもなっていました。現代の住宅は水回りを共有する必要がなくなったかわりに、「小屋」だけになってしまった。その代わり、営みの場である店や自分の表現ができたり、人の表現を見ることができる桟敷のような場所を街中で共有していくべきなのではないかと思っています。人間の活動につながるようなしつらえづくりをして、建物とその周辺を取り持つ空間を変えていければ、まちがすごく楽しく変わっていくと思うんです。建築家には、そういう仕事がまだ残っているんですよね。

水越
 建物とまちとの境界をデザインすることで、人のふるまいを促すような場所をつくるということですね。たしかに、それが東長崎を盛り上げていると思います。

ヴォーン
 私は建築家ではないですが、建築家のもつ視点はまちにとってすごく大事だと思います。車止めは、普通に考えたらめちゃくちゃ邪魔なものですよね。でもちょっと工夫するだけで、《Cadota》の新井さんがパスタをつくるところを見せる場になって、人が集まる舞台みたいになる。それだけで周りの人たちが笑顔になるんですよ。

あいさつできる距離感をデザインすること

ヴォーン
 わたしたちは、あいさつできる距離をつくろうとしてるんです。たとえば《MIA MIA》だったら、スタッフがいつも外にいて、通りがかる人にあいさつできるようにしていますし、《壱番館》では、一階にオフィスを入れることで外の人と目があうようにしています。まちの中に、名前は知らなくともあいさつできる人が増えていくことを目指しています。

 東長崎の人たちは、まちを歩くと誰かにあいさつしています。《MIA MIA》でもお客さんどうしが知りあいになっていて、これがとても大切なことだと思っています。コーヒー屋さんに立ったら、私は一人一人のお客さんにあいさつしたいと思っているのですが、そうするとコーヒーマシンの場所などもとても大事で、《MIA MIA》では、通常裏に置かれる厨房をお店の表側に配置しているんです。こうすることで、私を含めたお店のバリスタは、一人一人のお客さんにあいさつできるんです。窓も上げ下げ窓にして、外の人と近い関係をつくりました。そういうちょっとしたアイデアがいまのまちには足りていませんが、それこそみんなが求めてるものだと思います。

理恵
 東京は、あいさつをしなくても生きていけるサービスのはりめぐらされた場所で、そのドライな距離感がいいという考え方もある一方で、災害も多いし子供が生まれたときや高齢になったときのことを思えば、周りにあいさつできるくらいの顔見知りがいるといいことっていっぱいあります。そういう距離感をつくることのできる場所を、家にもお店にも学校にも少しずつつくっていけば、安心で豊かな暮らしににつながっていくはずです。

本多
 直接話すとなるとハードルが高いけど、建物に少し工夫をしてみたり、《Cadota》のテーブルのような、あいさつのきっかけになる仕掛けをいろいろな場所に用意しておくことで、東長崎の人たちのいままで見えなかった意外な魅力がたくさん見えてきていると感じますが、その中で、お二人がまちの方々をつなげていく役割をされているところがとても魅力的だと思いました。

理恵
 現代の都市生活をしていると、何かやりたいことがあるんだけど、それに気付かないとか、やりたかったことを忘れているという状態が定常化してると思うんです。たとえば、棚をつくりたかったとしても、材料や工具を揃えるのも大変だから、そのうちそのことを忘れてしまったりする。でも、この場所には工具があるから、まわりの人たちに言えば何かできるかもと思える。そんなふうに、ものづくりをしてる人やモノを見ると、自分はあれがやりたかったんだって思い出す瞬間がありますよね。そんな風景を介して、たくさんの人たちのやりたいことがどんどん発展していって、内側から盛り上がっていく活性化のしかたを考えていて、まちがそういうふうに変わってくれるといいなと思っています。

水越
 いまお話させていただいているこの《壱番館》の前にはブックポストがありますが、これもまちの方のやりたいことのひとつだったのですか?

理恵
 《壱番館》は私たちが管理していたのですが、入居者からブックポストをやってみたいという声があがりました。そこで、設計と施工をARAが行い、使い方のグラフィックを事務所をシェアしている小木央理さんにお願いし、運営は入居者でおこなうというプロジェクトとして始動しました。《壱番館》は幼稚園の前にあるので、最初は絵本を置いてみたのですが、案外ご高齢の方の需要も多いです。普段はお友だちと本の貸し借りをしていた方が、コロナ禍で会えなくなってしまったので、誰か読んでくれるならと持ってきてくれたり、大きくなったお孫さんの漫画をまとめて持って来てくれたり、お洒落なZineが入っていたり、こどもの本が入っていたり、すごく多世代ミックスなブックポストになりました。

ヴォーン
 すごく素敵な手紙が入っていたこともありましたね。コロナ禍で誰にも会えなくてつらかったときに、これができて、人とは会ってないけど、モノをやり取りするだけで、まちの人とつながりができて嬉しかったという内容でした。モノには、そういう役割もあるのだなと思いました。

《壱番館》の前に設置されたブックポスト
撮影=鵜川友里香

生活者の視点をモノに翻訳する

水越
 最後に改めて、いま建築家にできること、今後、東長崎でやってみたいことを教えてください。

理恵
 東長崎だけで完結させる必要はないけど、まずはこのまちが楽しくなるといいなと思ってます。建築の仕事は、人の生活を豊かにすることが大事な役割だと思っていますが、たぶん、建築がそういう仕事だって誰にも思われていないんですよ。そこが問題だと思っていて、建築教育も変わるべきだし、一般の人にも、建築のスキルでこんなことができるって知ってほしいですよね。

 なので「まちの営繕」はもっと展開して、まちの風景が変わっていくところまでやり切りたいです。こういう活動してると、小さい規模じゃないと実現できないんじゃないかって聞かれたりしますが、そんなことはなくて、大小問わず、新築でも改修でもできることはいっぱいあると思います。

 人として、あるいは生活者として素朴に考えたときの視点を忘れないでつくっていきたいんです。これは建築の世界だけではなく、コーヒーの世界でもそうなんです。みんなプロになりすぎて、生活者の視点が見えなくなってしまうんですよね。一人の生活者として考えたときに、何が一番幸せな状況かは、常に考えていないと見えなくなってしまいます。建築は、かなり責任の大きい産業なので、ゴミをつくり続けることだけはやめたいです。やっぱり、ずっと愛されてメンテナンスされながら使われるようなものをつくりたいですね。営繕というふうに言ってますけど、この考え方は常に忘れずにつくっていきたいと思います。すごくかっこいい建築をつくる建築家も世界には必要だと思いますが、同時に、日常の風景を少しずつ良くしていく建築家も必要で、その両側から良くしていけるといいなと思っています。

ヴォーン
 私も同感です。(笑)

本多
 たしかに仕事で建築をするとなると、生活者の視点を忘れてしまうことがあると思うんです。一方で、一般の人だと素朴にこういうことをやりたいと思っていても、やり方がわからなくて、結局できないことは多いと思います。建築家のプロとしての考えと、一般の人の考えていることの間が重要そうですね。

理恵
 そのときに、翻訳みたいなことがすごく必要なんだと思います。たとえば、小学校のプロジェクトをやる際に、草の根的にやりたいことがあっても、それを行政に伝えるときには、それを翻訳できる人がいないと一気に頓挫しちゃうんです。でも、建築家はその翻訳ができる人なんですよね。普段から一般のクライアントとやり取りしつつ、法律なんかも見てる人なので、一般人のやりたいことを法律の言葉に翻訳できたりするんです。

水越
 自分たちが生活者として素朴に考えることが、モノの世界につながっていることを忘れずに、それをさまざまな人々に伝えられるように翻訳し続けることが大切なんですね。本日は貴重な機会をいただきありがとうございました。

撮影=鵜川友里香
2023年4月27日 壱番館前にて

企画=ReLink・明治大学構法計画研究室
取材・構成=本多栄亮・水越永貴
監修=門脇耕三
協力=明治大学構法計画研究室

本多栄亮(ほんだ・えいすけ)
1997年生まれ。修士(工学)。明治大学理工学部建築学科助手。明治大学大学院理工学研究科博士後期課程2年。2023年、水越永貴・杉野喬生と共にReLinkを創設、代表。2019-2020年に学生による設計施工を行う学生団体DaBoの共同代表を務める。卒業設計では赤れんが卒業設計展2021で佳作を受賞。古材を利用した設計などを行う2人組設計チームLinゝメンバー。研究者として建材リユースの流通に関する研究を行う。
Twitter:https://twitter.com/ei_ar_ch
Instagram:https://www.instagram.com/eisuke.honda/

水越永貴(みずこし・えいき)
2000年生まれ。修士(工学)。都内建築設計事務所勤務。2023年、本多栄亮・杉野喬生と共にReLinkを創設。大学院ではReLinkを通して設計者に対する中古建材の利用可能性の研究を行い、2023年度日本建築学会大会デザイン発表会にて優秀発表賞、2024年度日本建築学会関東支部大会にて若手優秀研究報告賞などの受賞。
Twitter:https://twitter.com/e_3254__
Instagram:https://www.instagram.com/e__3254/

明治大学構法計画研究室(めいじだいがく・こうほうけいかくけんきゅうしつ)
2012年に明治大学にて発足した、門脇耕三が主宰する研究室。建築構法についての研究を主な活動とする。「モノに知性を宿す回路は、現代の文脈において、如何に構築可能か?」をテーマに掲げ、研究に加えて、建築設計・技術開発・様々な分野の専門家との対話など、多様な活動を展開している。
HP:https://www.kkadlab.org/
Twitter:https://twitter.com/kkla1117
Instagram:https://www.instagram.com/kadowaki_lab/

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