物質性を語る~モノがもつ気持ち悪さ~②

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みなさん、こんにちは。渡会です。

2週目ですね。前回は「スポリア」とは何かについて、言葉の語源から一般的な意味を説明しました。今回はスポリアを語る上で重要なローマから、その代表例コンスタンティヌスの凱旋門を紹介します。

01.コンスタンティヌスの凱旋門ー過去の偉人との融合ー  

スポリアを語る上で最も重要なのはローマ。スポリアを正当化し、既存のモニュメントに帝国の権利を主張する前例を作ったのがコンスタンティヌス1世であるからです。理解のため、軽くコンスタンティヌスとキリスト教、政治との関係を追っておこう。

コンスタンティヌスはかつて熱心な異教徒(ここではキリスト教ではないということ)であったが312年、キリスト教の神から政敵に勝利を与えてくれるという啓示を受けました。その後戦いに勝利し、コンスタンティヌスは帝国内のキリスト教に対する迫害を終わらせることを誓うことに。

しかし、ここで問題が。。。

迫害していたキリスト教を国教とすること、自身が皇帝に即位することをどう市民や帝国上層部に納得させるか。。。
ここで彼がとった戦略こそが、キリスト教を正当化しつつも異教徒である上層部の権力は保持することを示すスポリア作戦だったのです。

その当時、ローマの皇帝と言ったら五賢帝でした。市民に根ざした過去とのつながりを強固にするために、五賢帝のうち3人のハドリアヌス帝、トラヤヌス帝、マルクス・アウレリウス帝が奉納した凱旋門の装飾を「剝ぎ取り」、自身の凱旋門にくっつけたのです。

具体的には中央開口部の西壁には、トラヤヌス帝のバシリカ・ウルピアにあったものを移設したものが存在します。この部分にはトラヤヌス帝の頭部が描かれていましたが、コンスタンティヌスが自分の顔に似せて掘った頭部を埋め込みました。コンスタンティヌスは文字通りトラヤヌス帝のイメージを自らに創造することで、トラヤヌス帝の権力と名声の自然な後継者であることを象徴的に示したのです。

同様にほかの皇帝たちからもスポリアを行うことで、偉大な皇帝たちの力を象徴的に獲得するだけでなく、自分が皇帝に即位することを疑問にもつ人を正当化しました。自分がローマの暴君ではなく、保護者であることを示し、異教徒の上層部を納得させるとともに、過去の伝統から切り離し、将来のキリスト教を受けいれる軌道を示唆しています。

コンスタンティヌスの凱旋門は過去の歴史的な部材に意味が込められており、それを象徴的に使用することで、歴史の連続性を感じさせコンスタンティヌスを帝国の継承者へと位置付けていました。その為に自身が「欲しい」、「使える」と思ったのを剥ぎ取る行為が行われており、剝ぎ取られた側は無残にも残されるという結論があります。このコンスタンティヌスの凱旋門事例は特に有名なので、興味を持った方は、五賢帝の剥ぎ取られた側の凱旋門も含めてGoogleで検索してみてください!

次回とその次、2回に分けて私が「スポリア」を再定義するにあたって活用した、トランスヴィレ聖堂を紹介します。この聖堂から、スポリア手法を思考していきます。

渡会裕己/ReLink

参考文献
加藤耕一「時がつくる建築 リノべーションの西洋建築史」(東京大学出版会.2017年)

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